日常診療において重要視しているポイントというのは人それぞれだと思うが、自分は特に”診断”を強く意識している. 情報アクセスが容易な現代において、正しい診断がついていれば患者の利益のため、少なくとも正解に近い行動を取れるが、そもそも診断がついていない場合はその情報にアクセスする事すら困難であり、適切なエキスパートの助言も得られなくなってしまう可能性が高い. その結果、”正解に近い”どころかその逆の行動を取ってしまうことすらある、というのがその理由だ.
その”診断”において, 当科で特に問題意識を持って取り組んでいるのが「診断プロセスの言語化」である. 診断プロセスに再現性を持たせ, ディスカッションで妥当性を評価するためにはどうしても自分がどのように頭を働かせ, 診断しているのかを言語化する必要が出てくる(大抵はその過程でバイアスに振り回されていたり, 危うい理論のもとで診断を進めている事を思い知らされる) .
本書『直感で始める診断推論』には我々若手医師にとってはコロンブスの卵たりえるような, 言語化の助けとなる思考の手法が散りばめられている. そしてバイアスや誤診のパターンとその回避法についても具体的な方策と共に述べられており, 偉大な先達の(恐らくは)苦々しい経験から学ぶ事ができる.
一方で本書のタイトルは『直感で始める臨床推論』である. タイトルを文字通り受け取ると, 「直感」という言語化と対極の概念を推奨しているように思える. しかしそうではない. 本書でも紹介されているが, この「直感」は認知心理学でいう「システム1」に相当する. 本書で提唱されている診断プロセスとは, システム1で想起した仮説をシステム2的に吟味し, 採択, 棄却を繰り返して結論にたどり着く, というものである. ゴルフでいうと, 1打目で可能な限りピン傍につけ, そこから微修正を重ねてカップインを狙うイメージだろうか. 私はゴルフを1回もやったことないが. その「1打目」である最初の想起診断はいわゆる”当てずっぽう”になるのだろうか. そうではないだろう. 本書の狙いは「疾患スクリプト(※)を洗練し, 直感の精度を上げていく」ことにある(第1章より). 「直感の精度を上げる」というのはこの「1打目」の精度を上げる試みである.ではその初手の精度はいかにすれば上がるのか. ひとつひとつの症例(誤診を含む)に対して, ひたすら言語化を繰り返し, 疾患スクリプトを強化していく, というのが生坂先生の答えだ.
本書を読んでいると, 数えきれないほどの症例に対して言語化と修正を重ね、その思考が言語化を超えて身体化し直感に昇華するほどの営みが、著者である生坂先生のもとで行われてきたのだと想像させる. この「洗練された直感」のエッセンスは, 私が最近ハマりにハマっている漫画『アオアシ』に登場する”考える葦”司馬明考選手に通ずるものがあった. (『アオアシ』の話をすると長くなるし何なら最新巻のネタバレになってしまうのでとりあえず全巻読んでほしいのだが, 主人公アシトのロールモデルとなるようなキャラクターだ)「考えるな, 感じろ」ではなく, 「感じられるようになるまで考えろ」ということである.
そしてもう1点, 本書の特筆すべき点として「患者の訴えの言語化」に重きを置いている点が挙げられる. 第1章の冒頭で提示される症例を読んだ時点で私は本書の実用性を確信した. 実臨床において「患者の訴えや病歴が不明瞭・曖昧, あるいは(意図的かそうでないかは問わず)そもそも事実と異なるため適切な医学的プロブレムの構築に苦慮する」という経験はとても多い. この点をネックとして特に内科初診外来を苦手としている若手医師もいるのではないだろうか. 勿論これは患者に問題があるのではなく, 我々医療者側の情報収集力の問題である. 本書ではこの問題にも正面から取り組んでおり, 「うっ」と身構えてしまうような主訴に対しても, 言語化の助けとなるツールを提供してくれる. 特に第7章, 第8章についてはともすれば”不定愁訴”として片付けられてしまいそうな症例(忙しい外来の中では考えるのすらやめたくなりそうである)とそれに切り込んでいくための思考プロセスが紹介されており, 曖昧な訴えに対しても言語化を試みることの重要性を感じた.
当科では臨床推論・診断力向上のため, 月に1回ほど診断に難渋した症例についてカンファレンスを行っている. そこで後期研修医には自身の診断プロセスを可能な限り言語化してもらうようにしているが, これがなかなか難しく, よく聞いてみると様々な認知バイアスに振り回されており, 疾患スクリプトもまだまだ脆弱である. そして後輩とディスカッションする中で, 自分の思考プロセスにも厳密性や再現性が足りないことに気付かされる. 本書で述べられている診断推論のあり方はこのカンファレンスで自分が目指している到達点にかなり近い.
アシトが「司馬選手になりたい」と感じたように, 私も本書をロールモデルに”考える葦”を目指したいと考えさせられる書籍であった(結局また『アオアシ』の話をしてしまった).
【今回紹介した本】
※「ゲシュタルト」という表現を使うことが多い気もする(私見)が, 疾患の全体像の要約のこと
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